SNSを見ているとコロナ問題で正義をかざす人が増えているように思います。正義とはとても危ういものです。代表的なところではアメリカがよく使う正義。この正義で一体どれだけの人を殺したのでしょう。
命は何よりも大切ロジック
コロナの問題で正義をかざす人の典型例は「命は何よりも大切ロジック」です。どこどこで○人死んだというニュースに非常に敏感で「命を守ろう」と躍起になって書き込みます。
当然、家族が、友人が、知人が亡くなれば悲しいでしょう。命は大切、そんなことは当たり前の話です。しかし、今さら「命は何よりも大切」と語るのであれば、
なぜ車を止めようとしなかったの?
なぜ飛行機を止めようとしなかったの?
なぜ建設業、採掘業をやめさせなかったの?
なぜ山登りを止めないの?
なぜ川遊びを止めないの?
なぜインフルエンザが流行ってきたときに都市封鎖を主張しなかったの?
ねぇなぜ?
年間3000回以上「仕方ない」で処理される犠牲者
戦争を止めてこいとは言いません。でもあなたが 「命は何よりも大切」 ならば、なぜ過去に命を何よりも守る行動をしなかったの?できることはたくさんありましたよね?
交通事故で誰かが亡くなったニュースを聞いたとき、あなたはどう思いましたか?それは「可愛そう、だけど仕方ない。」ではなかったですか?
少なくとも社会は「仕方ない」で、その交通事故を処理したのです。年間3000回くらいは仕方ないよね、と。
もう分かりますよね?残酷ではありますが、そもそも社会は決して命を何よりも大切するように設計はされていません。犠牲の上で人々は笑い、泣き、生きているのです。 今になって 「命は何よりも大切」 と大きな声で叫ぶことは、過去に仕方ないで処理された方への冒涜とも言えます。
我々の作った社会はある程度の犠牲の上に成り立っていることをまずは認知しなくてはいけません。 コロナの問題を語る上で、 これは避けて議論することはできないのです。
これからの議論はコロナをどう許容していくかに尽きる
過去の感染症はいつしか収束しました。ですからコロナもいつか収束するでしょう。しかし今感染拡大を短期的に止められると言う専門家は私の知る限りいません。さらにはコロナが収束してもきっと次のウィルスはいつか発生するでしょう。
次のウィルスに出会ったらまた我々は家に閉じこもりますか?その次は?その次は?
さて、我々はいつまでも恐れおののいて家にこもるべきでしょうか。できる限りの予防をして外に出て自らの幸福のために行動するべきでしょうか。
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