マニラでいつも思うこと

数日フィリピンはマニラに滞在していました。グアムへの仕事がマニラ乗り継ぎだったのですが、帰りは数日だけマニラに滞在することにしました。

マニラはもう何回目か忘れるほど来ています。10回は行ってないかな。なんだか初めて訪れたときよりも、どこか安心して街を歩けます。それはドゥルテ大統領のお陰か?僕が慣れてきたせいか?

にしてもやはり他の東南アジア諸国よりはどこか危険を感じ、街のクオリティは著しく低いです。街はどこも汚れており、歩道で堂々と暮らしている家族もいます。夜になると歩道で寝ている親子によく出会います。

歩行者はその親子を避けて歩くわけです。想像できますかね?自分の子供くらいの子供が寝ているのを見ると、なんともいい難い気持ちに襲われます。

そして街は常に大渋滞で排気ガスに覆われています。慣れていない日本人にとってはマスクは必須アイテムです。マスクをしていても排気ガスが肺に流れ込んできます。そして腐敗臭。下水や食べ物が腐った匂い、汚水の匂い、排気ガスが混ざりあった匂いに街は包まれています。

マニラに久々に訪れて知ったのですがUberが撤退してしまったようですね。免許を取得しているタクシー業界からの圧力があったようです。この点は日本も同じような状況ですが…。

その煽りは利用者が受けます。Uberがなくなったせいで、態度が悪く、不潔な車内のタクシーに乗らなくてはいけません。さらにタクシーはほぼ100%でぼったくろうとします。

何度もマニラに来ている僕にとっては土地勘も相場も分かっているので、交渉して負けませんが、タクシーに乗る度にドライバーとバトルするのは疲れます。毎回同じ会話です。

街の汚れも渋滞もタクシーの質も、なぜ日本とこうも違うのか。いつも考えますが答えは出ません。

「渋滞に関しては街の人口に対してインフラがついていっていない」というのが一般的な話ですが、それ以外にも理由は多々あると思っています。今回は見られなかったのですが、以前マニラで渋滞の現実は驚くものがありました。

交差点でどちらの道も渋滞していると、どの車も我先にと赤信号であろうが交差点の中まで侵入し前に詰めます。すると交差する道の車は信号が青でも進むことができません。こうして完全に道は遮断されるのです。

日本であればどんな渋滞になろうと、交差する道路が流れなければ、いずれ自分の道にもそのツケは回ってくることを皆が知っています。だから青信号でも前が詰まっていれば交差点に侵入することはありません。自分本位ではなく全体がスムーズに流れることを重視しているからです。

この感覚はフィリピンや中国などアジア諸国の多くには全くと言っていいほど見受けられません。道を譲る、場所を譲るという感覚がないのです。

民度と言って片付けるのは簡単ですが、元を辿っていくと貧困に突き当たるのかもしれません。貧しさは様々な余裕を奪います。場所の余裕、時間の余裕、心の余裕。

こうした余裕の無さが渋滞をさらなる大渋滞に変え、タクシーがなんとか割高な料金を客から取ろうとし、街はどんどん汚していくのかもしれません。

なにも研究した上での説ではありませんが、もしこれが正しければ貧困がもっとも根源的な悪なのかもしれません。貧困は何が生んだ?資本主義?いや、社会主義でも貧困はあります。もちろん資本主義が生まれる前にも。

またマニラに行って考えよう。


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