「世の中のために働かないほうが良い」
まぁ分かっていても公には言いにくいんですよね。世間話のときはよくこういうこと話したりするのですが。それが遂に権力を持つ人がはっきり言ってくれたなと、そういう変な感慨深さがある動画でした。立花孝志さん、ありがとうございます。
すでに“ひとりベーシックインカム”している私、松井がもう少し深堀りしてお伝えしたいと思います。
まだ時間がかかるとは思いますが、多くの人が働いても働かなくてもどっちでも良い世界が遅かれ早かれやってくるはずです。なぜかというと、多くの人が何も生み出さない、むしろ社会的にマイナス生産の仕事をしているからです。
これを噛み砕くのちょっと難しいのですが、例えば今スーパーや飲食店のレジが自動になっています。人の労働力は使わなくなりましたが、生産性は全く落ちていませんよね。こういう状況の中で、労働を守るためにレジを人力でやり続けるみたいなことです。
当然人力のほうがコスト高いですから、生産性は低くなります。つまりレジの店員さんは給料をもらってプラスに感じているのですが、社会全体で見たら働くことで生産性を失っているということになります。分かりやすくレジで説明しましたが、そういう労働を無理やり維持することでマイナスを生んでいる仕事がたくさんあるということです。
そこでマイナス生産である凡人の我々は、できるだけ遊んで暮らして消費を活発にしたほうが経済が良くなるのです。お金は国から頂けばいいのです。そちらの方が生産性が高いから全然悪いことではないのです。
でも、そう簡単に割り切れないのが我々の生きる時代です。我々は生きる意味や生きる価値を労働に強く結びつけてしまっているのです。これまではそちらのほうがきっと幸せだったからです。でもよくよく考えてみたら、全然関係ないんですよね。職業も年収もカードの色も生きる意味を考える上で全然関係ない。
「私の仕事は誰かの役に立っている!」と思う方もいると思いますが、もちろん「誰かの役に立つ」ことは非常に人生を豊かにしてくれる要因になりますが、それをなぜ仕事(収益活動)にするの?ということです。生きる意味を根源的に考える上では関係がないですよね?
今の時代は人生の目標が「こういう職業に就く」的なものが多いですが、労働に対しての精神的な結びつきが解けると
「そのための進学」
もなくなり
「そのための勉強」
も、もちろんなくて、生まれた瞬間からの人生設計が今とは全く異なるものになると思われます。
なので教育の善悪も変わりますよね。「宿題なんてしてる暇あったら、フォートナイトもっとうまくなれ!」とかは言いすぎですが、100%冗談とも言えないかなと。
真面目な部分では、おそらくコミュニケーション能力が深く求められる世界になるのかなと想像しています。コミュニケーション能力と言っても人当たりが良くなるとかじゃなく、本当に意味のある人とだけ有意義に関わる能力というか、そんな感じです。
未来を想像すると楽しいなぁ。
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